第24回 田澤 純一
~ドラフト目玉投手、チーム残留に隠された決意~

田澤 純一

2007年のドラフト目玉投手田澤純一は、10月22日、「まだ会社に恩返しできていない」と表明し、プロ野球ドラフト会議での指名を断ってENEOS野球部に残留すると発表した。1位指名で何球団が競合するかと注目されていただけに、今年のドラフト戦線に大きな影響を与える出来事だったが、田澤はなぜプロ入りの夢を先延ばしにしたのだろうか。それは、これまでの野球人生も大きく関係しているようだ。まだ21歳の青春真っ只中。それでも多くの経験を積んでいる田澤の歩みを見ていこう。

田澤 純一

「小さい頃はサッカーをしていましたが、小学3年生の時に地元の少年野球チームに入って、中学までは軟式をやっていました。高校は熱心に誘っていただいた横浜商大高に入学して、1年生の夏からベンチ入りしました。マウンドには立てませんでしたが、2年夏は甲子園に出場し、3年夏は涌井秀章(現・西武)のいた横浜高に準決勝で3-16。でも、体力もまずまずついてきたので、高校野球雑誌などでは『プロのスカウトも注目している』と書かれたこともありましたね。やはり、卒業後はプロに進みたいと思い、高校の監督に『プロには入れそうですか』って聞いてみたんです。そうしたら、『今の力では難しいんじゃないか』ということで……」

田澤 純一

田澤さえ希望すれば、いくつもの強豪大学野球部が勧誘に訪れただろう。だが、大学進学はまったく考えていなかったという田澤は、プロ入りが無理ならば野球を続けられなくても就職しようと思っていたという。そんな田澤に注目していたのがENEOS野球部だった。

「おそらく、僕に声をかけてくれたのはENEOSだけだったと思います。でも、仕事をして給料をもらいながら野球を続けられるし、プロも目指すことができるということで、入社させていただくことにしました」

こうして2005年、ENEOS野球部の背番号17・田澤純一が誕生した。野球部は世代交代の途上で若い選手も多く、すぐに雰囲気には馴染めたという。ただ、高校時代は自信を持っていた自分の実力が通用しなかったことで、一気に危機感は高まった。

田澤 純一

「高校時代、それなりに注目されたりしたので、社会人でもやれるだろうという気持ちはありました。1年目は体力強化に重点を置いていましたが、社会人野球のレベルの高さは痛感させられましたね。同期で入社した岩田(雄大)は、1年目からチャンスをつかんで結果を出している。では、僕が同じようなピッチングをできるかと言えば、まだまだという状態でしたから。とにかく、しっかりと体を作り、まずは岩田を追いかけていかねばならないと思いました」

田澤 純一

厚い壁に直面した田澤にとって、ルーキーイヤーの最後に大きな出会いがあった。大久保秀昭監督の就任である。日石野球部黄金時代の捕手で、プロ経験もある新監督は、田澤ら若く才能にあふれる選手たちに「プロを目指せ」と檄を飛ばした。そして、2年目のスタートとなる2006年の春季キャンプを終えると、田澤は福岡ソフトバンクとのオープン戦で先発に抜擢された。ホークスの先発は、田澤と同い年で横浜創学館高出身の高橋徹。高校時代に対戦したことはなかったが、かつてのライバルとの対戦は田澤の闘争心も大いに刺激した。この試合で、田澤は初回から150キロに迫るストレートをビシビシと投げ込んでいく。対してホークスの高橋のストレートは130キロ台後半。しかし、田澤はファームの若手選手にも痛打を食らい、一方の高橋ENEOS野球部のレギュラー陣をのらりくらりとかわしていく。プロの高橋と、社会人で成長途上にある自分との力の差を思い知らされた。

田澤 純一

「この試合のこと、あまり覚えていないんですよね。高校の頃から、大きな試合になると緊張してしまって……。自分に自信がないというよりも、せっかく監督に使ってもらっているのに打たれてしまったら申し訳ないとか、チームメイトに悪いなとか、そういうことを考えてしまう部分があったんです。それで力を出し切れないのは歯がゆいので、この年は精神面での成長も目指しました」

夏場までは、なかなか公式戦での登板機会を得られず、都市対抗神奈川県二次予選で先発も経験した岩田との差が開いていくように感じた。だが、破壊力のあるストレートがストライク・ゾーンを射抜くようになり、スライダーやフォークボールのキレも増すようになると、ある程度の自信を胸にマウンドに立てるようになった。そして、2006年10月13日、日立製作所との日本選手権関東代表決定戦では、岩田が先発すると田澤も三番手で登板。気持ちのこもった投球で代表権獲得に貢献した。さらに、日本選手権本大会ではストッパーとして3試合に登板。同期で前を走っていた岩田に、ようやく追いつけたという気がしたという。

「やはり、日本選手権で監督に使っていただき、結果を残せたことが大きな自信になりました。3年目にはもっと成長して、プロのスカウトの方から注目されるような投手になろうと決意していましたが、岩田と二人で大久保監督に呼ばれ、こう言われたんです。『プロ入りできるレベルを目指せ。都市対抗で優勝したら、二人ともプロに出してやる。でも、優勝できなかったら、どちらかひとりだ。成績のよかった方をひとりだけプロに出す』と。岩田もそうでしょうけど、僕も監督のこの言葉で燃えました」

田澤 純一

プロの世界を視野にとらえた田澤は、再び大きな出会いに恵まれた。日本ハムで活躍したOBの髙橋憲幸が、投手コーチとしてENEOS野球部に復帰したのだ。大久保監督と髙橋コーチは、ただ『プロを目指せ』と厳しい練習を課すのではなく、田澤の知らないプロの世界と同じトレーニングを教えてくれた。この練習を乗り越えて実績を積めば、プロに入っても活躍できると思えば、練習に取り組むモチベーションも遥かに違ってくるものだろう。同じく新任の成瀬浩次アスレチックトレーナーの指導で、走り込みやウエイト・トレーニングにも必死で取り組んだ田澤は、春先から目立つパフォーマンスを披露した。

4月の長野県知事旗争奪長野大会で胴上げ投手となり、日本選手権の出場を決めると、6月の都市対抗神奈川県二次予選でも、田澤のストレートは唸りを上げた。三菱ふそう川崎との一回戦に敗れ、敗者復活戦にまわって、もう負けられない状況になっても、田澤は投手リレーのアンカーを150キロ超の速球で見事に務めた。

田澤 純一

「プロを目指すという個人的な目標はありましたが、いざシーズンが始まればチームの勝利しか考えられない。1、2年目と都市対抗出場を逃して悔しい思いをしましたから、今年は何が何でも東京ドームに出る。最後は自分が抑えて出場権を獲るという気持ちで投げました」

田澤は三菱重工横浜クラブとの敗者復活二回戦から3連投。日産自動車、三菱ふそう川崎というライバルを次々と撃破し、4年ぶりに都市対抗出場を果たした。都市対抗でも1回戦・2回戦と登板し2回戦では打たれたものの、1回戦では打者3人をきっちりとしとめ、更に評価を得た田澤は、第37回IBAFワールドカップに出場する日本代表候補にも選出された。この頃になると、多くのスカウトから熱い視線を集めていた田澤はドラフト1位の最有力候補と目され、いくつものメディアから取材を受ける存在となった。今年のドラフトでは何球団が競合するかがニュースとなっていた。ところが、正式に日本代表に選出されたのと同じ頃、今年はENEOS野球部に残留することを表明したのだ。目玉のひとりが候補から消えたことで、プロのスカウトたちは大慌て。他の選手への指名変更を余儀なくされて混乱したが、田澤はそうした大きな決断の理由をこう語った。

田澤 純一

「自分のピッチングが安定し、ドラフト指名確実と評価していただくようになってから、大久保監督とは何度も話し合いをしてきました。僕が、どうしても今年プロに行きたいと言えば、それを止めるわけにはいかない。でも、監督の目から見れば、僕はリリーバーとして実績を残しただけで、本来は先発の経験も積んでプロ入りした方が、さらに活躍できる可能性が広がるだろうと。そういう話を聞いて、納得できる部分が大きかったし、チームは都市対抗優勝という大きな目標を成し遂げようとしている。ENEOS野球部として、その目標を達成するために僕の力が必要だと言われた時、それならば、もう一年社会人で頑張ってからでもプロ入りは遅くないと考えるようになったんです。僕はまだ21歳。自分がしっかりと実績を残せば、プロ入りのチャンスはまだあると思いましたから」

そして、泣かせる言葉でチーム残留の決意を締めくくった。

田澤 純一

「やはり、チームメイトと力を合わせて日本一になり、大久保監督を胴上げしたい。僕がこれだけ成長できたのも、大久保監督をはじめスタッフの方々に指導していただいたからだし、チームメイトのサポートもあったから。ENEOS野球部で黒獅子旗を獲りたいと思った時、残留という決断は迷いなくできましたね」

田澤 純一

11月6日から台湾で開催された第37回IBAFワールドカップに出場した田澤は、予選リーグ第3戦のチャイニーズ・タイペイ戦で国際大会デビューを飾る。慣れない先発で本来の投球ができず、敗戦投手になったが、リリーフに戻ると本領を発揮。第6戦のイタリア戦にリリーフ登板すると、キューバとの準決勝では0-3と劣勢の7回からマウンドへ。1点もやれない緊張感の中、キューバの強打者をピシャリと抑えた。時を同じくして戦っていたENEOS野球部は、日本選手権一回戦でまさかの完封負けを喫し、世界3位の勲章を手にした田澤は、大会中にチームに合流することはできなかった。それでも、来シーズンに向けて気持ちは高まっている。

田澤 純一

「今年は本当に充実した一年でした。でも、それに満足することなく成長を続けたい。まずは厳しい神奈川予選を勝ち抜いて、2年連続で都市対抗に出場することだけを考えたい。先発でもリリーフでも、自分の力を出し切れるように頑張ります」

ENEOS野球部から羽ばたいた"社会人野球の星"。田澤純一からは来シーズンも目が離せない。

第25回はこの人です。

☆第25回はこの人です。

ヒント:
ヒントは必要ないでしょう。日本一を目指してスタートする2008年シーズンのトップを飾るのは、我がENEOS野球部の大久保秀昭監督です。桐蔭学園、慶應義塾大で活躍し、1992年に日本石油へ入社。社会人ベストナインを4度受賞するなど、強打の捕手として目立つ実績を残すとプロ入りし、 2006年からENEOS野球部の監督を務めています。新しい年を迎えた指揮官の決意も収録します。

~第25回の中から一部紹介~

「選手時代はいい仲間にも恵まれ、本当にいい思いをさせていただきました。特に日石でプレーした5年間は、黄金時代と言われたチームとジャパンを掛け持ちし、目まぐるしかったですけど充実した時間を過ごしました。社会人2年目で経験した都市対抗優勝、アトランタ・オリンピックでのキューバとの決勝……。忘れられない試合はいくつもありますが、今は選手たちとともに、一生忘れられない勝利を勝ち取りたいと思っています。」

※ このコーナーの写真は本人から提供されたものを使用しております。

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